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石橋を創って渡る。

日々の創作日記。 このブログは、パソコン版表示を推奨します。 記事は横へと動くようになってます。

居酒屋での相談なんてものは、どうでもいいことばかり。

久しぶりにブログを書く。執筆と模写、読書に時間を使っていて、ブログを書く余裕がなくなったのだ。

けれど不思議なもので、ブログを書かなくなった途端に孤独を感じ始めた。もしかすると、誰かに対してブログを書いていることが、自分としては寂しさを埋める役割をしていたのかもしれない。

それに文章に思ったままの事を書いていると、頭が少しすっきりするから、やっぱり短くてもブログは書いた方がいいのかもしれない。

 

 

先日、高校の同級生に飲みに誘われた。飲みに出歩くのは久しぶりのことだったし、人恋しくなっていた僕はその子と飲み行くことに決めた。

その同級生は女の子で、現在四十八歳の既婚者と恋人関係にある。相手の子供は二人いて、すでにどちらも高校生とのこと。だから決して僕に気があるから飲みに誘われたわけではない。

彼女は精神的に辛くなると、僕と飲みに行く癖のようなものがあった。僕が聞き上手からなのか、それとも僕が噂を流せない(友達がいないから)と知っているからなのか、とにかく彼女は僕にプライベートなことをとめどなく話してくれる。そして話し終わると自分自身を責め始め、今度は泣き始める。

泣き始めたらようやく僕が喋る番になり〝同情〟と〝少しの否定〟をしてから、最終的には〝大丈夫〟という言葉に落ち着く。ここでの僕の言葉はけっこうどうでもよくて、問題は彼女にどれだけ喋らせるかが大切だったりする。居酒屋で友達に言う悩みなんていうのは、結局話せば楽になるものがほとんどで、それ以上の悩みは医師か弁護士に任せるしかないのだ。だから僕は話を熱心に聞けば、それでいいのである。

 

彼女に限らず、僕の周りにはそういった女性が多い。定期的に女性から飲みに誘われて、彼女が喋り終わると泣きだし、僕はあたりさわりのない〝同情〟と〝少しの否定〟をする。傍から見れば都合の良い男だと思われるが、僕としては何気に彼女たちの話を楽しんでいたりする。

現代に生きる女性がどんなことに悩んで、そしてどんなことで泣くかを目の前で見られるのだから、これほど小説家にとって恵まれたイベントはないのである。(悪くとらないでほしい)

女性の悩みを聞いていると、どれも本当は結論が決まっているものが多い。だから悩み相談をされて女性の意見を否定すると、彼女達は〝でもね〟という言葉で反論をする(女性を批判している訳ではありあせん)。けれど逆に彼女の意見を肯定してあげると、〝やっぱりそうだよね〟と言って安心した顔になる。

だから居酒屋で女性が悩み相談をしてくるのは、自分の意見の後押しをして欲しいということだったりする(もちろんすべてではない)。

だから男性諸君は自分の知識で悩みを解決してはならないのである。本当に知識で解決してほしい悩みなら、相手は病院か弁護士事務所に行くのだから(それか宗教か)。

 

逆に男性に居酒屋で相談された場合。女性は男性を褒めるように慰めるのが効果的である。男が女性に弱音を吐く時は、たいていは慰めて欲しいだけで、悩みを解決してほしいなんて思っていない。〝男なんだからしっかりしなさい〟なんて言ってしまったら、不貞腐れる男がほとんどである。そしてそうした男は付き合うと面倒くさいに決まっている。

 

そもそもお酒の力を借りて悩み相談してる時点で、その相談はどうでもいいこと。

本当に解決したいならシラフで相談するもんでしょう?

創作日記。 36

創作記録

昨日から〝胃〟の執筆を始めた。書き出しはいつも上手くいくのに、どうしてもその次の文章でいつも時間が掛ってしまう。けれどやっぱり執筆しる時間が一番ワクワクして面白い。調べものやプロットを考えていた日々からすると、毎日が楽しくなった。

やはり演技の本を読んだことで執筆がしやすくなった。「全体の目的」「シーンの目的」「障害」を意識することは、やはり俳優だけでなく、小説にも使える技術だと思う。

 

執筆作業に入ったので、いよいよブログの更新がしにくくなった。出来ればブログを書く時間も執筆作業に費やしたい。さてどうしたものか……。

創作日記。 35

創作記録

〝胃〟のプロットで悩んでいた軸の件は、結局思い浮かばなかった。これはもう執筆を始めてしまったほうが良いのかもしれない。ここからどれだけ〝胃〟になりきって、どれだけ楽しんで書けるかで決まる。全体のプロットには自信があるので、ようやくこれから文学が出来そうである。

やっぱり調べ事やプロットをしている時は、どうしても文学ではない感覚がして、正直あまり面白くない。執筆は絵画でいうと〝書く〟、彫刻でいうと〝彫る〟作業なので、個人的には執筆はライブ感がある。その場で脳から出てくる言葉で絵を描いているように感じるので、自分の中では執筆も立派な芸術だと思っている。

 

書き上げたものをどこに送るかを考えていなかったので、急いで決めることいした。それによって書ける枚数が変わるので、今決めておかないと〝書いたはいいけど何処にも出せない〟ものになってしまう。

僕が書こうとしているのは、どちらかというと〝純文学〟の部類にはいるので、「文藝賞」「新潮新人賞」「すばる文学賞」「群像新人文学賞」のいずれかに送ることにした。「文學界新人賞」は枚数が百枚以内で短すぎるから、たぶん応募することは出来ないと思う。

送ろうとしている四つの賞も応募枚数が限られていて、一番多く書けるのが「文藝賞」の四百枚で、一番枚数が少ないのが「群像新人文学賞」の二百五十枚。

プロットの段階では最終的な枚数がいまいち予想しづらいので、とりあえずは二百五十枚を目安に書こうと思う。そうすれば落選した場合、原稿を他の賞に送れるので、コストパフォーマン的には最高である。でも四百枚で最高に良いものが出来て、「文藝賞」にしか出せないとしてもそれはそれで良い。何処に送るかはあまり関係はないと思っていて、とにかく面白ければ良いのである。

審査員の作家が誰なのかも見ないことにした。誰が審査員なのか調べすぎると、その人を気にしすぎて自分のやりたいことから離れてしまいそうで怖くなるだけなのだ。誰かの為よりも、まずは自分の為に書く。