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石橋を創って渡る。

日々の創作日記。 このブログは、パソコン版表示を推奨します。 記事は横へと動くようになってます。

創作日記。 8

ショートショートはほぼ完成。あとは何度も読み返して細かいところを直していく作業。文章の細かなテンポやリズム、言葉の微妙な修正をします。僕は比較的長い文章が好きなので、その代わりにリズムやテンポを意識して、長いけれど読みやすい文章を目指している。

以前、一人称小説の話をしたけれど、他にも思うところがあるので、書きながら整理をする。

一人称には特徴があると思っていて、それは語り部の性格が平均的なものになってしまうことだ。平均的な性格というのは、簡単にいうと「普通の人間」ということである。

語り部である「僕」や「私」は、読者に物語を伝えなければいけないのだから、必然的に語り上手である。たとえ「コミュ障な主人公」「性格が悪くて卑怯者の主人公」だったとしても、読者にはしっかりと物語を語っているので、客観的に見ると読者にとっては優しい性格をしている。

もしも本当に「コミュ障な主人公」を一人称でやるとしたら、その小説は三ページくらいで完結するし、もしも本当に「性格が悪くて卑怯者の主人公」を一人称でやるとしたら、読者は三ページ読んだところで主人公を嫌いになって本を閉じるだろう。   

だから一人称小説の主人公というのは、客観的に見ると読者に対しては「普通の人間」なのである。多少の好き嫌いや、偏見が混ることはあっても、語り部は本当の意味で読者から嫌われない性格をしてる。物語を始まりから終わりまで一緒に過ごすのだから、語り部は読者にとっては最高の相棒にならなければならない。それがたとへ殺人鬼の語り部だったとしても、読者に対しては読みやすい文章で、しっかりと物語を語ってくれるのだ。

おそらくこうした理由で、「シャーロックホームズ」の物語は、平均的な性格のワトソンが語っている。天才キャラのホームズが、一般人に向けて物語を語るのは難しいから、相方を語り部にしたほうが、ホームズをより天才に見せることができる(でもボームズ本人が語り部の物語があったはず)。

村上春樹の小説が「どれも同じように感じる」と思う人は、きっとこうした語り部の性格が関係していると思う。村上作品に出てくる男性の主人公は、「几帳面」「似た比喩の仕方」「基本的に無職」「クラシック好き」「基本どんな状況でも落ち着いている」などの共通点があり、それが語り方に出てしまう為、「どれも同じように感じる」のだと思う。

もちろん語り部が普通ではない小説も沢山あるけれど、それらは伏線だったり、物語での重要な要素だったりするから許される。これが伏線も要素もなくて、ただただ変な語りなのなら、それは一人称ではなく三人称や神視点にするべきだ。

 

一人称については、次回も語ります。

ショートショートやらなくちゃ。