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石橋を創って渡る。

日々の創作日記。 このブログは、パソコン版表示を推奨します。 記事は横へと動くようになってます。

創作日記。 9

創作記録

ショートショートはようやく完成。一日寝かせて、明後日読んで最終修正をする。やっぱりオチが弱い気がするけれど、これで選考に残るか試してみることにする。

今回書いた「黄色いシルクハット」は、書き上がるのに八日掛ってしまった。もっと早く書けるようして、長編に時間を使えるようにしたい。とりあえず五日で書けることを目標にする。もちろん物語の質は落とさないようにして。

 

一人称の話の続き。

一人称小説は基本的に語り上手で、物語を丁寧に案内してくれる。語り上手な主人公ということは、必然的に休養のあるキャラクターが多い。そうしないと読者にしっかりと物語を伝えることができないからだ。だから子供が語り部という小説は極端に少ない。

森見登美彦の「ペンギン・ハイウェイ」や、森博嗣の「探偵伯爵と僕」などは小学生が主人公だけど、どちらも頭が良い設定だったり、国語が得意という設定になっていて、しっかりとした語り部となっている。

けれどこうした制限のようなものがあるのに、沢山の一人称が存在しているということは、それほど言葉の節々に人間の個性が出ているということだ。そうした主人公の個性が文章に出るところが、一人称小説の面白いところで、三人称や神視点では味わえない魅力となっている。

この一人称小説の魅力をふんだんに詰め込んだのが、ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」である。この小説を読んでから、僕は一人称の魅力に気付いて、今では立派な一人称信者になっていまった(たまには三人称もよむけれど)。もちろん小説を訳した小尾芙佐さんの力も大きく、翻訳者の魅力に気付いたきっかけにもなった。

書き出しが大切な小説にとって、よくわからない稚拙な文章から始まる「アルジャーノンに花束を」は、一見一人称小説に向かない物語に見える。けれどそれが後々物語の楽しさを上げる要素となっていて、新しい試みをしつつ、かつ面白い一人称小説となっている。

書き上げるまでの作業を想像するだけで息がつまりそうで、ダニエル・キイス小尾芙佐がいかに凄いのかが分かる一冊だ。

僕もいつかこうした新しい一人称小説を書くことを目標にして、日々の創作を頑張っていきたい。

 

今日は、長編の為に借りてきた図書館の本を読みながら、必要な情報をまとる作業をする。最近寝不足なので、二時には寝て体調を回復させます。

すごく文章がまとまってないけれど、時間がないので今日はここまで。