石橋を創って渡る。

日々の創作日記。 このブログは、パソコン版表示を推奨します。 記事は横へと動くようになってます。

創作日記。 11

今日はショートショートを見直す予定。提出は月末なのでギリギリまで放置しておこうかな。来月のショートショートのネタも考えないといけないけど、なかなかアイデアが出てこない。良い設定を思いついても、良いオチが見つからない。

ショートショートの魅力の一つに、「手軽にすぐ読める」というのがあるけれど、これはどのくらい重要なことなんだろうか。ショートショートの場合、「手軽に読める」と「面白さ」では、どちらが優先されるのだろう。もちろん面白い物語に越したことはないが、読者はそこまで物語の短さに重点を置いているんだろうか。時短の時代だからしょうがないのかもしれないけれど、「手軽に読めて、かつ面白いものが読みたい」というのがショートショートの本質だとしたら僕は悲しい。物語をわざわざ縮める必要性も良く分からない。

これはべつにショートショートを批判しているのではなくて、しっかりとショートショートの本質や未来を考えているということ。どれも同じようなものばかりで、今の小説には進化が必要だと思う。本が売れなくなったのは読まない人が増えたからで、結局読まない人が増えたのは本が面白くないから。本は様々なエンタメに負けつつあるから、もっと進化しなきゃいけない。

 

一人称小説を書いていて、どうも何かが足りないと悩んでいた。それで最近ようやくその答えが見つかりつつある。

それは一人称小説を書く上で、文章力と同じくらい演技力が必要だということ。

三人称や神視点では、語り部に特に性格というものがなく趣味趣向がない。けれど一人称小説の場合は語り部が主人公なので、そこには必然的に性格と趣味趣向がでてくる。だから一人称で書くということは、自分が別人になりきって物語を語っていかなければならないことが多い。

主人公が著者と同じ性格なら演じる必要はないけれど、主人公と著者がまったくの同一人物というのはまずありえない(それはもうエッセイに近い)。

主人公の性格によって、文章の長さ、リズム、テンポ、比喩、語彙力、知識などなど、さまざまな部分に違いが出てきて、そこにキャラクターの個性や魅力が宿るのだと思う。だから一人称作家は、語り部に憑依するような技術が必要なのではないだろうか。

 

こうしたことから、演技の本を読み漁ってみることにした。発声練習などのレッスン本とかではなくて、主に精神や想像、演者の哲学などをメインとした本を探すことにする。それを一人称小説に応用すれば、リアリティが増した語りができると思う。

演技と一人称小説の関係性を書いた記述がなかなか見つからなかったので、自分なりに開拓していくことにする。きっと一人称小説を書く上で、演技の勉強というのは文体をよりリアルにして、良い意味で気持ち悪い作品になると思うのだ。

とりえずメソッド演技法から調べつつ、そこからメソッド演技法に反論している人達の意見を読んでみることにする。小説家と演者は無関係ではないことを証明するのだ。