読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

石橋を創って渡る。

日々の創作日記。 このブログは、パソコン版表示を推奨します。 記事は横へと動くようになってます。

創作日記。 13

今日は模写と読書を進める。仕事の資料も作っていたから時間があまりない。けれど企画書も読む人を納得させる文章を書かなければならないから、文章力は養われる。でも相手にへりくだったような文体になるから、仕事の書類制作はあまり好きじゃない。

小説の場合は、喫茶店や居酒屋の隅っこで相手に語り掛けているような文体だと思っていて、作者と読者は対等な関係のようなイメージがある。読者はただ話を聞く側だけれど、作者は熱心に話を聞いてくれる読者のことを考えて書かなければならない。ただ黙って話を聞いてくれるからと思っていると、独りよがりな文体になりかねないので注意が必要である。

 

創作というのは孤独な作業で、常に一人で作品に向き合っていると、まるで自分と向き合っているような感覚になる。それが時々嫌だったり楽しかったりするんだけど、どちらかというと苦しい方が多い。とくに苦しい状態がつづくと、〝ダメな自分〟がやってきて、創作自体をけなし始める。

「こんなことに何の意味がある? 外に出て友達と遊べよ。お前の小説なんてだれも評価しない。仕事以外の時間をどうして苦しいことに使うんだ? 物語なんてお前が書かなくても存在するし、誰も困ったりしない。ただの消費者になったっていいじゃないか。映画を見て、本を読んで、音楽を聴いて、テレビを見て、ネットを彷徨って。そうやって人生を楽しめばいいじゃないか。友達だってもっと作って外で遊んでもいい。どうしてお前が創らなきゃいけないんだ? 十年後も同じことをつづけてたら勿体ないとは思はない? もうお前は頑張ったらから大丈夫。ここでやめてもいいさ」なんてことを囁いてくる。

けれど僕は〝ダメな自分〟とは親友みたいな関係なので、「そんなこと言わないで、お前も少しは手伝ってくれよ」なんて言いながらなだめ続けている。けれど彼もいつまでもおとなしい訳じゃない。きっと時間が経つにつれて部屋を荒したりするかもしれないから、僕は彼に〝できる〟ことを証明しなきゃいけない。彼を殺すことなんて絶対に不可能だから、僕は彼を納得させるだけの力を付けなきゃいけない。もちろんその間にも彼は僕をけなすし、僕は彼をなだめ続けなきゃいけない。

 

もしも僕が表現したいことを誰かが完璧に表現したら、僕は悔しさよりも安心感の方が大きいかもしれない。「自分が苦労しなくてもいいんだ」「これで楽しいことに時間を使える」なんて思うかもしれない。けれど今のところ僕がやりたいことを誰も表現しないから、僕が表現するしかない。

プライドがないように思えるかもしれないけれど、僕が続ける動機はそれがほとんど。僕よりも先に誰かが表現してしまったら、僕はその程度の人間。