石橋を創って渡る。

日々の創作日記。 このブログは、パソコン版表示を推奨します。 記事は横へと動くようになってます。

創作日記。 24

臓器の主人経歴は完成。これでようやく〝胃〟の設定と経歴を創れる。

ショートショートも手直しを完成させて、あとは郵送するだけとなった。次のショートショートはどうしよう。ネタは沢山あるんだけど、どうしても二千字で語るには勿体ないものばりで使えない。特に主人公の心情を描く作品の場合は、読者と主人公が親密になる時間が必要で、ショートショートのような短い小説は、心情を描く作品は難しい。だから人間の心情の面白さではなくて、客観的な面白さがショートショートには合うと思う。

 

「目の見えない人は、世界をどう見ているか」を読み終えた。最後まで長編小説の参考になりそうな内容で面白かった。人間は誰しも限られた情報量で生きている。知っていることよりも知らないことの方が圧倒的に多くて、記憶しておける量も無限ではない。

インターネットが普及してから世界は情報で溢れている。そんな世界で生きているとなんでも知っている気になって、徐々に驚くことが少なくなる。

大昔の人は、雷が鳴れば神様が怒っていると思ったり、皆既日食を世界の終わりだと思ったりと、とにかく様々なことが想像で片づけられていた。答えなんか誰にも分からなくて、きっとそれは怖い事なんだと思う。だけど僕はそうした時代がとても羨ましい。全ての現象にたいして自由な想像をする日々というのは、僕が思う限りとても楽しそうに思える。

人間は様々な〝謎〟を解決しすぎてしまった。僕らはインターネットを使えば、そうした情報を簡単に手に入れることができる。だけどそれのどこが面白いんだろうか。答えや正解をすぐに知ることに何の意味があるんだろうか。答えや正解を知っているから何だというのだ。人は何でも知りたがって、神様にでもなりたいのだろうか。

僕は〝知らない〟という状況にも価値は存在すると思う。知らないことを知っていしまったら、もう二度と知らない状態には戻れないのだ。

とてもまとまっていない文章だけれど、とにかく僕が言いたいのは、〝知らないという状態を楽しんでから知ったほうが良い〟ということ。なんでも答えや正解をすぐに見るんじゃなくて、まずは個人で想像してほしいのだ。

きっと想像力に関していえば、僕らは大昔の人には勝てないのだと思う。

そんなことを思ったとさ。